【愛知県・武豊線】通勤電車の旅。武豊〜大府

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これは、地元を捨て、東京で働く男が贈る、郷里への叱咤激励である。


知多半島の鉄道


知多半島を縦断する鉄道路線は3つある。

ひとつは金山駅とセントレアを結ぶ名鉄常滑線で、空港と名古屋、岐阜などを結ぶ「ミュースカイ」などの特急列車から、各駅停車まで、ビュンビュンと電車が走る近代的な路線だ。

二つ目に、常滑線の途中駅、太田川駅から分離して河和を目指す名鉄河和線。こちらも特急・急行・普通が一時間にそれぞれ2つずつやってくる幹線。なお途中の冨貴駅からは、さらに知多新線というローカル線が枝分かれし、内海などのリゾート地や、日本福祉大学を結んでいる。

最後に、JRの大府駅から武豊駅までを結ぶJR武豊線。日中は2両編成のディーゼルカーが一時間に2本、ラッシュ時も4両編成が一時間に3本のみという、いちばんどうしようもない路線だ。


武豊線の日常


列車を一本でも逃せばその時点で遅刻確定なので、朝のラッシュは電車の中での混雑よりも、まず駅に着くかどうかが大きな問題となる。

そんな武豊線だが、本数が少ないおかげか、いいこともある。列車の本数が絞られることで、思いがけず小中学時代の友達と同じ列車に乗り合わすことが多くあるのだ。

武豊線の車内でよく談笑の声が聞こえてくるのは、そういったローカルな事情もあってのことだと思う。田んぼと住宅街を変わるがわる走り抜けていく武豊線のなかでは、今日もまたローカルな会話が繰り広げられるというわけだ。

駅のホームのすぐそばまでツタやネコジャラシが生い茂り、遠くからセミの合唱が聞こえてくるような田舎のオンボロ線だけど、そこには情緒がある。そしてこの情緒は、武豊線が武豊線である限り、東京オリンピックをやろうがリニアモーターカーができようが、簡単にはなくならないだろう。


武豊線の風景


そんな武豊線を旅してみよう。

武豊線は武豊から、東海道本線の大府を結んでいる。
ウィキペディアでは、路線の長さは19.3 km。いうほど長くない。

駅名を順に追っていくと、
武豊

東成岩

半田

乙川

亀崎

東浦

石浜

緒川

尾張森岡

大府

となる。

序盤の武豊こそ、「士」が「か」であり縁起が良い地名だ。かの初代・東京駅長も、この武豊駅でキャリアを積んだと言われている。

問題はここからだ、東成岩についてはであり急に田舎感を隠せなくなる。しかも、ひがしならわ、という、他所から来た人間に読ませる配慮が全くない難読地名でもある。

次の半田は田んぼだ。しかも半分だ。田んぼの50%OFFセールとはなんとも情けない地名だ。

さらに、次の乙川から、緒川にかけては駅名にかならず川か海にまつわる地名が入る。川、崎(岬)、浦、浜、川と、水があること以外に取り立てて駅名にできる要素がなかったのであろう。

フィナーレを飾るのは尾張森岡であり、これに関してはもはやである。もっと「東京」とか「京都」、「神戸」や「宇都宮」のように、華やいだ地名にはできなかったのだろうか。

武豊から半田にかけては、名鉄河和線が並走する。武豊線は単線、一時間に2~3本の電車が運行されるのに対して、名鉄は複線、一時間に5~6本、あるいはそれ以上の運行本数なので、武豊線はどうあがいても勝てない。実際、武豊で名鉄とJRのお客の数を数えると、JRのお客は名鉄の四分の一であると言われている。

しかし裏返せば、この区間であればラッシュアワーでも余裕で座れるということだ。さらに、ラッシュアワーは名古屋駅が終点に設定されるので、寝ていればそのまま目的地についてしまう。名鉄は寝てしまうと岐阜送りにされてしまうので、名古屋で働く忙しいビジネスマンにとっては大変快適だと言える。

ドン・キホーテと、アミューズメント施設の「コロナワールド」が駅の近くに併設されている東成岩は、その立地のため授業サボりの高校生とギャル&チャラ男を一手に担う。学ランと、金髪上下ジャージの若者を多数観察できる。

そして調味料でおなじみ「ミツカン」本社のある半田駅を出ると、列車は大きく東にそれ、名鉄と離れる。半田の次の乙川から、亀崎、東浦、石浜にかけては、車窓の右側が田んぼ、左側が住宅地という風変わりな景色である。

その途中、亀崎駅で、一気にお客が乗ってくる。この駅は明治時代に建てられた木造駅舎がまだ現役だ。亀崎から坂を一気に駆け下りる。蒸気機関車の時代は、よくここでパワーのない汽車が坂道を登れず、立ち往生していたらしい。このため助走をつけるにあたり、亀崎とつぎの東浦は少し距離がある。坂を下りきったところに藤江という集落があるのだが、汽車を助走させるために駅を作ってもらえなかった悲しい歴史がある。

東浦を過ぎて石浜を出ると高架橋に入り、緒川駅にたどり着く。緒川駅はイオンが付近にあるため、土日を中心に降りる人が多い。

緒川駅から坂道を下り、武豊線では終点武豊をのぞいて唯一単線ホームである、尾張森岡駅に着く。尾張森岡の次は大府で、ここで東海道本線と合流、ラッシュアワーにはそのまま名古屋まで乗り入れる。

さて、この武豊線の面白みは、乗るだけではなかなかわからない。だって普通の通勤路線なのだから。


武豊線の歴史


しかし、通勤路線に至るまでの歴史は、非常に面白い。豊臣秀吉の立身出世と、イチローが奇跡のタイムリーをみせた2009年のWBCをひとまとめにしたような歴史だ。

冒頭で私は、この武豊線のことを「いちばんどうしようもない」と書いたが、武豊線の歴史は並走する名鉄はおろか、東海道本線よりも古い。むしろ武豊線は、東海道本線を作るために敷設された、日本の鉄道界における影の立役者なのだ。

その理由は、武豊という港が、鉄道を作る材料を荷揚げするのに都合が良かったからだ。当時の武豊線の終点は熱田であった。

ちなみに、こういった歴史があったせいで、面白いトリビアがある。

「武豊線はとある鉄道のルールが例外的に適用されない」のだ。

それが「上り」「下り」の列車区分である。

本来は、日本全国一律で東京を目指す列車が「上り」になる。東海道本線の大府から名古屋を目指す列車は「下り列車」だ。しかし、武豊線は東海道本線よりも先に開通していたため、当時はより東京に近かった熱田に向かう列車が、「上り列車」になる。これは現在も続いているルールだ。

ピンとこないかもしれないが、本来、東京駅しかありえない「上り列車しか来ない駅」という称号が、ど田舎の武豊線・武豊駅にも唯一の例外としてつけられている、という、すごい話なのだ。

まあとにかく、武豊線は熱田までの資材輸送と旅客を行うことになる。沿線は、まだ珍しかった鉄道という存在を大いに歓迎した。現在でも半田駅にある跨線橋は国内最古のものであり、亀崎駅に関しては日本最古の現役駅舎が一部使用されている。

そして東海道本線が全通したあとも、貨物も旅客も行われた武豊線は、一定の繁栄を誇ることになる。

しかし、1931年に、ライバルの知多鉄道、今でいう名鉄が開通してしまう。

電化され、スピードもあり、より名古屋へのアクセスがよい知多鉄道は、通勤路線としての地位を築く一方で、名古屋へのアクセスがよくなかった武豊線は、不便という烙印を押されてしまう。この名鉄に対する劣勢は、国鉄解体まで続いた。「パノラマカー」など名車が活躍する名鉄をよこに、国鉄武豊線は非力なディーゼルカーがのんびり走る、地味なローカル線だったのだ。

しかし、国鉄からJRに変わると、武豊線も変わり始める。

まずダイヤがどんどん良くなった。一時間に一本ペースだった列車が一時間に二本、三本となり、利便性が向上した。

さらに、サービス強化で、名鉄に対抗できる「キハ75」と呼ばれる高性能な列車を導入した。この列車には特急とおなじエンジンを積み込み、高速で運転できるほか、名鉄よりも柔らかい椅子をつけ、2両の各駅停車でさえも広いトイレを装備している。東京の通勤ラッシュに揉まれるサラリーマンにとっては、たいへん豪華な列車に感じるだろう。

周辺の住宅地開発もあいまって、このあたりから武豊線は「不遇なローカル線」から「通勤路線」へと変わる。

21世紀になると、今度は電化工事の話が持ち上がり、武豊線にとって大規模な工事が行われた。2014年、武豊線に電車が試運転ながらもやってくる。そして翌年には、電車での営業運転が始まった。

これにより一部の列車は岐阜まで直通したり、夜のラッシュアワーには本数の増加、新快速から階段を渡らなくても乗り換えられるなどの改善が行われて今に至る。

日本の大動脈、東海道本線を作った影の立役者であるにもかかわらず、名鉄の登場によりおよそ60年の不遇の時代を経て、その後、通勤路線として改善が図られ、地方にも関わらず「電化」という、少子高齢化の時代としては驚きの投資が行われ、今に至る武豊線。

みなさんが普段から利用する通勤路線にも、浅いようで実は深い、そんなドラマがあるかもしれない。🚃

歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 17号 御殿場線・武豊線・伊東線

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作成者
朝日新聞出版

武豊線物語 記録・写真集―東海道線新橋=神戸間開通百二十周年

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山内淳史 Atsushi Yamauchi

山内淳史 Atsushi Yamauchi

1995年愛知県生まれ。大学時代に先輩に騙されて入った携帯屋のアルバイトでスマートフォンの魅力を知る。 機種の外観だけでスマホのメーカーと型番がわかるようになった頃、旅行にハマり、アルバイトの収入の大半を旅行につぎ込むようになる。おかげで日本中の人と地元トークができるようになり、その謎知識から現在の職場では営業先の地方にいるお客様を不必要にビビらせている。 ブログ歴は2009年から書いており10年目。現在のブログは3代目。 「手のかかるロビンソンだなぁ」(isuta1205.com)のほかに寄稿多数。 「KOKACARE」(http://healthcare.halfmoon.jp/blog/) 「EDIT知多半島」(http://chitahantou.net/)など。

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コメント

  1. […] 武豊線についてはこの記事で取り上げたことがありましたが、こんなだれも知らないような路線にも歴史はあるのです。 […]

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