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RASAのフィリピン滞在記。その2。

こんにちは! #手のかかるロビンソンだなぁ の山内淳史です。今回はRASAでのフィリピン滞在記、第ニ回です。

第一回はこちら

2月14日


日曜のミサ


今日もめざましより早く目覚めた。フィリピンに来て以来、日々快眠・快晴・快便の気持ちいい朝である。
今日は家族総出で、家の近くにある小さな教会へ…という予定だったが、ジェリーが風邪をひくし、朝から街は停電しているしで、もうたいへ〜ん!!と言いたくなるくらい調子の悪いスタートである。リンガエンはよく停電するらしい。結局、遺憾ながらもジェリーを置きざりにして教会へ向かう。

RASA理事である、シーランドさんがミサを行う。事前にジェリーに仏教徒だと話していたためか、あまり儀礼的なものへの参加はさせられなかった。正月もクリスマスもおんなじように扱う日本人はそんなに気にしないのだが、フィリピン人はほとんどが敬虔なキリスト教徒、さらにプロテスタントよりも厳しいカトリック宗派なので、このあたりは結構気になるところなのだろう。
シーランドさんはペンシルベニアで育ち、マイケル神父という人に惚れ込んでキリスト教の道に入ったのだとか。今では日本に渡り、フィリピンに小さな学校を作っていると話していた。英語がしっかり分かれば有意義な話なのだろう。教会にいるフィリピン人はしっかりと話を聞いていた。


マナワの教会へ


その後一旦家に帰り、マナワという土地にある、より大きな教会に行こう、という話になった。そして、そこまで連れてってくれるバスを家で待つことにした。

今日はトイレが近く、昨日よりそわそわ生きていかねばならない。(説明しよう。私はスプライトが大好きなのだが、飲むとその日とその翌日は頻尿になる不思議な体質を持っているのだ。)

結局バスの来るタイミングでトイレに駆け込み、その勢いでジープに飛び乗った。ジープの中にはRASAのメンバーが何人かいたのだが、暑さと狭さで確認する気も起きなかった。ちなみにトモさんもいらっしゃって、それは割とすぐに気がついた。
日本よりも彩度の高い青空と、照りつける太陽。ひたすら走るバスの中で1時間強ほど過ごして、ようやくマナワ教会の駐車場に着いた。多くの売り子がろうそくや人形を売り歩いている。ろうそくはお祈りに使うからいいとして、誰がおみやげに人形を欲しがるのか少し疑問である。こけしみたいなポジションなんだろうか。

  • ひとまず日本人勢とそれらのホストファミリーは、ものすごく暑い教会の、屋外にある庭園を歩きまわった。どうやら池に鯉がいる。鯉はこのあたりでは貴重なようで、たくさんの見物人が小さな橋の上から池の鯉を覗き込んでいた。誰かの足が欄干からはみ出してたし、橋が軋んでいた。
    なんとなくカンだが、何か金運的な縁起の良さを感じるのだろう。

その後、祈りのろうそくをともす。これも屋外に有り、日の暑さと火の熱さで流石に滅入る。しかもその場所には立派な聖母像が立てられており、写真を取ろうとする人々で人口密度もヤバい。熱さ限界である。
ホストファミリーはそれを察したのか、おみやげ屋やミュージアムなど涼しい場所を案内してくれた。また「トゥピック」と呼ばれる棒状の、食感は五平餅で、味はまんじゅう、香りはシナモンらしき香辛料、ビジュアルは「ちまき」っぽい食べ物を買ってくれた。(どんな食い物だ)
また、日本で言うところのさつまいものポテチ、いわゆる「おさつ」も買ってくれた。このおさつは味も見ためも日本のものと同じ。

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その後、ジープに戻る。ああ帰るのか、と思っていたら、とつぜん現地の売り子から机を借りてピクニックを始めた。まず山盛りのお米。そして魚、ビーフン、ホットケーキの形のプリン。全部美味しい。フライドチキンなんてケンタッキーをゆうに超えている。ぬるまったスプライトもみんなで飲めば美味しい。
フィリピン人全員がどうかはわからないが、少なくともこの地において「満腹である」ことの幸福度は高いようで、こちらへ来てからというもの空腹を感じたことがない。朝昼晩のバランスの良い食事と、一日二回のメリエンダ(おやつ)、夜寝る前も簡単なお菓子を分けてくれる。日本以上に、常にお腹いっぱいだ。健康にいいのか悪いのかわかんない。


ロビンソンだなぁ。(ショッピングモールの名前が)


その後、食卓を片付けてモールへ。イオンっぽい見た目のモール、名前は「ロビンソン」。日本のイオンのように暇なときにみんなが行く場所という要素もあるが、どちらかというと松坂屋とか三越のように高級なお店であるように感じる。
三木が「ロビンソン」の名前に反応した。スピッツだ、スピッツだという。トモさんは20歳でスピッツをよく知っているなあと驚いていた。そして私はブログのタイトルをスピッツの歌から拝借するほどのスピッツ好きだ。帰りのジープが音楽の話題に染まったことは言うまでもない。
ショッピングモールに入ると、なんといきなりボディチェックを受ける。それほど厳しいものではなかった。てかかなり適当だった。平和だなあ。とりあえず、買い物に行く。フィリピンの予想以上の日光にげんなりしていた私は、日焼け止めと、明日から始まる作業に備えるためのグラサンを買うべく、売り場に連れてってもらうことに。
しかし、所狭しと並んだグラサンの値札を見てみると、価格は645ペソ。日本の物価で考えれば大サービスであり、買おうと思えば買えるのだが、コチラの財布には1800ペソしか無い。それに、現地人に「ほうほう、やはり日本人は金を持っているのだな。俺達とは違うんだな」と思われては、心理的な壁を作ってしまいかねない。金遣いには慎重にならねば。
グラサン売り場をぬけてモールの中心に出ると、ホストファミリーごとに別行動になり、私とトモさん、ジェリー、ジェリーの彼女、ジェリーの彼女の妹、その子供、マシュー、ブライアン、ホストマザーでぶらぶらとモールを散策。ゲーセンと本屋を覗いた。

クールジャパンである。

ゲーセンにはいろいろな日本のゲーム筐体があったが、格闘ゲームやレースゲームなどどれも1990年台を髣髴とさせるプレステレベルのドット絵やポリゴンのものばかりで、真新しい物はたいていが米国製か韓国製である。しかしそんなことはどうでもいいといわんばかりに現地の人々が群がっていたのがバスケットボールのゲーム。制限時間内に何回シュートを決められるかを競う。そしておそらくだが、特典に応じたトークン(レシートのようなもの)が発行される。それをゲーセン入り口の受付に渡すと、トークンの数に応じてミニゲームが遊べるのだ。ちなみに日本でよく見かけるクレーンゲームは一つもない。日本製のゲームはもっぱらレースかシューティングだ。

しかし、本屋に入れば日本の漫画が所狭しと並んでいるコーナーも有り、ワンピースや進撃などを見かけた。おみやげに一冊本を買うことにした。選んだのは「Weekly OTAKU」…要は「週刊オタク」である。どんなタイトルだ。こういう、外国人が日本文化をどうやって受け止めているかがわかる本というものは面白いが、はたしてこれをどう活用すればいいか考えずに買ってしまったこともあり、その後たいへん持て余すことになる。
そして、「週刊オタク」のとなりに「Easy Japanese(日本語入門)」的な本があったのでコレも買う。合計175ペソ。
思えば、同じ棚には韓国語の入門もあった。フィリピンは街も田舎も日中韓の資本が入り乱れている。

あとは、100円ショップでおなじみの「ダイソー」が出店しており驚いた。トイレットペーパーや日常雑貨など、日本語が所狭しと並ぶ。見慣れた日本語が…

パチもんじゃねーーーか!!!!

なんだトイレットペパーって!!!伸ばす音が足りんぞ!しかも赤いTシャツを見てくれよ。なんだよジャグジーンスって??聞いたことねえぞ??まあまだそれはいいとして、アラビア数字で”76”と表記しておきながら漢数字で”七五”と書いてるあたり、設計から生産、流通、販売の何処かの段階で誰かおかしいと気付いてくれ(涙)

モールから帰ると小休憩。部屋で休んでいるとブライアンがやってきたので、日本語を教え、ブライアンと恋話をする。男同士の恋話ほどむさ苦しいものはないが、ブライアンがとてもピュアなハートで恋していたので、つい耳を傾けてしまう。ブライアンは純粋で熱い心を持った仁なのだ。
その後、夕食をとった後に、いつものように家族で過ごす。ホストファミリーの父がアルコールを飲めないと知ったのはこの時。昔は飲めたけど内蔵を悪くしたんだって。日本からお土産で持ってきた大吟醸はこっそり自分で飲もうっと
日付は2月14日。世の中はバレンタインデーである。フィリピンのバレンタインではチョコを渡す慣習こそ無いものの、やはりカップルの日という趣は強い。ジェリーに「今日までに彼女を作れ!」と無茶ぶりを言われる。いや、それができれば苦労しねえよ。イケメンには私の恋愛ハードルの高さがわからんのです。

夜、まじない師のばあさんのところへジェリーの治療に行く。施術内容はシンプルで、まずろうそくに火をつけ、その上でスプーンに載せたロウを炙って溶かす。とけたらそれを水に放り込み、を3回繰り返す。そして、その水の上に浮いているロウの形を見て占う。
その後、全身にココナッツオイル的なものを塗りたくって終了。
ろうを炙っている間はばあさんがずっと呪文を唱えているため迫力があった。さながらジブリ映画のおばあさん役である。顔中にシワが刻まれ、眼光は鋭く、一挙一動に凄みがあった。フィリピンでは健康管理に万全を期したほうがよさそうである。

2月15日


フィリピンで手が荒れまくる。


今朝はめずらしく二度寝して、6時半に起床した。とりあえず手がやばかった。普段から手は荒れているのだが、いまはまさしく地獄絵図。腫れが引かず、昨日から日記もままならない。もっと薬を持ってこればよかった…原因はわかってる。ダニだ。しかしホストファミリーは「アレルギーかい?」と聞くので、「はあ」という自分でもよくわからないニュアンスで、そっけない返事をしている。
とりあえず手がかゆい間はかきむしってしまう。そして痒みが引いたら眠気と闘いながら日記を書く。

朝、ディズニーやポケモンがテレビで流れているのを発見した。ポケモンは自分の知らないキャラやポケモンが出演しているから、そんなに昔の話ではないのだろう。両方ともタガログ語だから何を言っているかはわからないが、日米最強の映像コンテンツを朝から二本立てで見られるなんて、フィリピンの子どもたちは大変恵まれているとしか言いようがない。

ちなみにこの朝は、「C2」と呼ばれるフィリピンで最も美味しいと感じたジュースを頂く。パッケージにはTEAと書いてあるが、日本人にはどう味わってもりんごジュースの味である。フィリピン国民に甘党が多くいる証左なのだろうか。


学校建設の始まり


その後、学校に向かい、このボランティアの本題である、建設作業を始める。
そもそも、なんでフィリピンのパンガシナンくんだりまできて学校を作るかといえば、フィリピンの貧困問題を根底から解決するには「子どもへの教育の機会均等」という文化をフィリピンで根付かせる必要があり、これをするにはフィリピンの学校不足を解決するしか手がないからだ。そしてこの学校が選ばれたのは、校舎の強度不足でちょっとの地震で倒れる危険性があり、改築をするにあたって日本のRASAから支援が行き渡った、というあらすじがある。

どうせ力仕事だし、おしゃれしていっても意味はなかろう、と思って適当に服を着ていった。ピンクのジャージに、「しまむら」で買ったスヌーピーのシャツだ。どうせ泥と汗にまみれてっしまうので、帰る際に庭で燃やしてもらっても構わないくらいの感覚で服を選んだのだが、他のみんなはしっかりとしたジャージやスウェット、日焼け防止のパーカーなど、ちゃんとした作業服を着ていたので、どうも意識の違いを感じる。最近の大学生は異国でもきちっとした服を着るんだなあ…

さて、その仕事内容だが、はじめに行った作業は、ただ砂をカゴに詰めていくという簡単なものだ。いきなりスコップを壊してしまう。というよりも、スコップが脆すぎる。柄の部分がボキッと行った。しかたないので、折れて短くなったスコップをこれまた中腰の姿勢で使ってゆく。

この作業で詰めた砂を、直径1.5メートルくらいのローラーにいれていく。ローラーに入れると、なにやらどろどろしたものと混ぜて、学校の壁を作るためのセメントが作られるというわけだ。

この作業は15分ほどでおわり、しばらく休憩をとる。そして休憩が終わると、今度はひたすらセメント入りバケツを運ぶ。男子こそ力仕事をするべきだ!と思うが、誰よりも働いていたのは、年齢も70前後の、RASA事務局のおじさん集団だったように思う。
気持ちいい汗を書いた後、お昼休憩。さすがの暑さが身に堪えたのか、フィリピンに来てはじめてご飯を残してしまった。まあハンバーガー2人前をメリエンダ(おやつ)で食べたあとに、大盛りご飯3人前と大量の煮物は、暑さに身が堪えていなくとも無理があると思う。


「恋するフォーチュンクッキー」を踊ろう


さて、お昼が終わると、ダンスの練習に入る。
実は、フィリピンに来る前から決まっていたことなのだが、フィリピンの学校を離れる前日に企画されているパーティで、日本人ボランティアはAKBの「恋するフォーチュンクッキー」を踊ることになっていたのだ。
白井さんがコーチ、原﨑さんが先生。日本人たちは仕事を放り出して何をやっているんだと現地の人に思われたかもしれないが、どちらかと言うと興味の眼差しで楽しそうに見物していた。

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その後作業に戻り、ひたすらセメントの入ったバケツをリレーしていく。セメントは学校の土台になる。だから手を抜くわけにはいかない。
作業は17時には終わり、みんなでバスケットボールをすることになった。
家をでる前に、ジェリーにおもむろに携帯を渡され、「電話に向かって『ヘイベイビー』っていってみな!」と言われたので何の疑いもなく「ヘイベイビー」といったところ、ジェリー大受け。電話は切れた。一体誰に電話をかけていたのだろう。全ては謎である。

そんな謎の時間を経て、トモさん、三木、ジェリー、ジェリーの彼女さん、ブライアン、マシュー、と、大勢が集まった。大勢で村の外れにあるジムに向かい、気の赴くままにバスケをやった。バスケは自分にとって、ものすごいハードだった。なによりも朝かきむしってぱっくり割れだらけになった手に、ボールがダイレクトアタックしてくる。だんだん指がまっすぐ伸ばせんくなってきた。

(2018年現在、症状はだいぶ収まったのでご安心ください。いつか闘病記として書くつもり。)

山内淳史 Atsushi Yamauchi

山内淳史 Atsushi Yamauchi

1995年愛知県生まれ。大学時代に先輩に騙されて入った携帯屋のアルバイトでスマートフォンの魅力を知る。 機種の外観だけでスマホのメーカーと型番がわかるようになった頃、旅行にハマり、アルバイトの収入の大半を旅行につぎ込むようになる。おかげで日本中の人と地元トークができるようになり、その謎知識から現在の職場では営業先の地方にいるお客様を不必要にビビらせている。 ブログ歴は8年。現在のブログは3代目。 「手のかかるロビンソンだなぁ」(isuta1205.com)のほかに寄稿多数。 「KOKACARE」(http://healthcare.halfmoon.jp/blog/) 「EDIT知多半島」(http://chitahantou.net/)など。

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