RASAのフィリピン滞在記。その1。

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序章

2016年、2月11日

朝5時。信じられない、ちゃんと目覚まし通りに目が覚めた。
昨日は日付が変わるまでずっと荷造りしていて、親に起こしてもらう気満々で眠りについたのだが、ちゃんとスマホに設定してあったアラームで目覚めることができたのである。
今日は、人生で初めて、フィリピンに向かう日だ。

思い返せば、2015年11月。

うちの大学でも過去最高レベルでつまらなかった「キリスト教概論」の授業。
いつもどおり寝て過ごそうと考えていたのだが、この日は教壇に先生ではなく、学生が立った。

なにが始まるんだ?と思っていると、その学生は受講者にプリントを配り始めた。つまらない授業がちょっとでも短縮されるなら大歓迎だ。話を聞いてやろうという気になった。

配られてきたプリントには、このように書いてあった。

「RASA-Japan “学校建設ボランティア”」
「フィリピン パンガシナン州 リンガエン」
「18日間の一人1家族ホームステイ」
「費用22万円(ほかは一切徴収しません)」

ほー…!

春休みは、どこでもいいから海外にいこう、と考えていたので、この企画は渡りに船である。ボランティアとか興味はないけれど、旅としてとてもおもしろそうだ。

そんなきっかけで、参加を決めたのだった。

年末から年始にかけて、3度の研修を経て、「RASA」のボランティア40人以上のメンバーでセントレアからフィリピンに行くという予定だったのだ。

2月11日


セントレアにて


中部空港の荷物検査を受けようとして、カバンをごそごそする。金属はカバンに入れることができないからだ。

このとき、勢い余っていきなり搭乗券をなくした。搭乗券を受け取ってからおよそ5分の出来事である。ほんまもんのアホである。

まいった。これからフィリピンに行くのに、これじゃ飛行機にすら乗れない。

ひとまず、自分が所属している4班のみんなには事情を説明して、手荷物検査場のスタッフに声をかけ、チェックイン・カウンターに戻させてもらう。搭乗手続きは20分後だ。時間がない。

セントレアの中をかけめぐり、フィリピン航空のカウンターを探すが見つからない。時刻は刻々と過ぎて行く。まだ朝7時過ぎなので頭があんまり働いていない。危機感だけが募る。

しかたなく、フィリピンと何の関係もない、カウンターで暇そうにしていたお姉さんを捕まえ、事の顛末を説明し、フィリピン航空のカウンターまで連れてってもらい、航空券を再発行してもらう。やった。これで飛行機に乗れるぞ。

手荷物検査も、お姉さんに連れて行ってもらう形で、従業員用の金属探知機を潜らなくてもいい窓口から入れてもらった。平和な日本だからこそできることだろうな、と人ごとのように思う。

出国手続きを済ませ、搭乗開始が始まってまもなく、なんとかゲートまでたどり着いた。ありがとう、セントレアで暇そうにしていたお姉さん。

ダッシュで飛行機に乗り込んだ。


飛行機〜現地


今まで、アメリカとオーストラリアには行ったことがあったのだが、そこへ向かう飛行機と違って、座席にはテレビもラジオもない。唯一の暇つぶしは座席に詰め込まれた中国語のファッション誌のみ。漢文の授業は高校生の頃たしかに受けていたし、ジャッキー・チェンの映画の主題歌「英雄故事」がだいたい歌えるはずだから読めるだろうと思ったのだが、さっぱり読めない。

そんな飛行機に揺られて、やっとの思いでマニラに着く。

空港を出るやいなや、2月とは思えない暑さが襲いかかる。ワケもわからぬまま空港を抜け出し、怪しい電飾の提げられたバスに乗り込んで、大渋滞の街を抜けて、高速に乗り、途中「ジョリビー」というフィリピン最大手のハンバーガー屋で休憩して、高速を降りて下道を延々走る。合計6時間はずっと移動していただろうか。ようやく現地にたどり着いた時にはすっかり日が暮れ夜になっていた。予定より、2時間ほど遅れていた。

ここが、フィリピンルソン島北部、パンガシナン州リンガエンだ。

集合場所の学校に入ると、大幅な遅れにもかかわらず、現地の人達は明るく迎えてくれた。しかしまだ、この時点では頭がついてきていない。

この1日が怒涛の行軍すぎたのか、初めてみる景色に感動していたのか、バスで席が隣だった近藤さんの、下世話な話にウンザリしたのか、よくわからないが、とりあえずこの時点で、ああ、私は目的地についたのだなあ、くらいしか考える余裕がなかった。

その後ホームステイ先の家族と顔合わせの後、明日の集合時刻のみ告知され、よくわかんないまま、ホストファミリー…つまり、今回私が泊まらせていただく家庭へ向かった。


マミタグ家にて、夕食


学校から、「トライスクル」に乗って家に向かう。トライスクルとは、バイクに屋根付きサイドカーを取り付けた、フィリピンの国民車である。ある程度の家庭なら一家に一台のペースで置いてある。バイク本体と狭いサイドカー、椅子は三つである。日本人の感覚だとこれをみて、「3人乗りかな?」と思うのだが、なんと迎えにきてくれた家族5人と私、計6人を詰め込んだ。いや、一人は完全に乗り物の外に体がある。

数分で、今回私がお世話になる家に着く。朱に塗られた鉄板でできた門をあけ、トライスクルを留めて、アルミ製の小さいドアをくぐると、ダイニングルームに通じていた。

マミタグ家の母親、モニナが私に聞いてくる。

「アユタイヤアード??イイートダディナール!」

なまりが強いが、おそらく英語で、疲れただろう、晩御飯を食べなさい、と言っているのだろう。

ご厚意に甘えて、ごはんを食べる。外国の味だ。味覚が初体験すぎて、おいしいのかまずいのか、判別がイマイチおぼつかない。

ソーセージ。日本とは違う味のするお米。やたら小骨の刺さる魚。もう一つの小魚は油で真っ黒に揚げられており、苦い。それを酸っぱい、小エビ入りスープに浸していただく。

初対面の家庭の方々と、薄暗いセメント打ち放しの簡素な家で、ご飯を食べる謎の時間。家族同士はフィリピンの現地語である「タガログ語」で済ましてしまうので、私にはなにを話しているか皆目見当がつかない。

ちょうど、大学のサークルで、メンバーのみんなが自分の知らない夏フェスの、自分が知らないバンドの話で盛り上がっている時と同じ気分がする。そういう時、ずるいよ、俺も混ぜろよ、という気分になる。しかし、私には、頭に狼の被り物をしているバンド(??)や、アレキサカナクション(???)が名前の時点でわからないので、結局黙るしかない。それと全く同じ状態だ。

家の中は薄暗い。机も綺麗にされているが、年季の入ったものだ。窓もきちんと閉められる訳ではないので、蚊が入り放題になっていた。

そんな、自分が寝泊まりすることになったこの家は、ここの家の祖母が建てたものらしく、祖母が渡米したことで今の家族が使い始めたのだとか。離れにもう一軒家があって、明日はそこで朝食をとる予定だと聞いた。日本の母屋と水屋のような関係なのだろうか??
さて、ご飯が片付き、ベッドルームに案内してもらった。家の中で唯一エアコンがある部屋だと教えてくれた。エアコンを見ると、「ナショナル」と書いてある。その隣にブラウン管のテレビが置かれており、錆びた字で「SANY」と書いてある。

全く見ず知らずの土地で、見ず知らずの家庭の家に、一人きりである。
持ってきたウォークマンをいじってみると、FMラジオが繋がった。知らない言語の歌が流れる。たぶん、タガログ語だ。マハールキタ、マハールキター、と、意味のわからない言葉が流れている。

結局この日は、疲れていたからだろうか、歯もろくに磨かずに寝てしまった。

2月12日

朝、目がさめる。天井に飾られているキリスト様の絵に目がいく。そこでようやく、自分が昨日まで寝ていた場所とは違う場所にいることを思い出す。

立て付けの悪いドアを開けてトイレに向かう。寝ぼけた目をこすって便器を眺める。

あれ…?便座がない…??

昨日は「小」だけしかしていなかったから気づかなかった。

便座がない。

あ、トイレットペーパーもない。

部屋に戻り、しばらく考える。
とりあえずスーツケースから日清紡の流せるティッシュを取り出す。そしてトイレに勇んで戻ると、

「中腰の姿勢!!!」

と、心の中で叫びながら用をたす。これにより、私はフィリピン滞在中、かなりふとももがしっかりとした。

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今日から2週間ほど、おはよう、ではなく、マガンダン・オマーガ、である。


マガンダン・オマーガ


今日はウェルカムパーティが学校で行われた。

現地の生徒たちが、クソ暑い中、幾つかのダンスを校庭にて披露してくれた。

なんとかフェスティバル(名前忘れた)と銘打ったこの企画は、どれもこれも、練習を重ねに重ねたものだと思う。少なくとも日本の文化祭や、半分飲みサーと化したようなダンスサークルでは、実現できないクオリティである。それをいともたやすく、現地の小学生から中学生の年齢の子供たちが、真剣な表情で踊っている。

その後、校長先生のスピーチを終えたのち、なんと、日本人のメンバーひとりひとりがスピーチを行う事になった。事前予告くらいしてくれれば、英語のテキストを見るなり、オバマ大統領の就任スピーチを見返すくらいはしたんだけど、さてどうすれば良いのだろうか。まわりの日本人参加者も、焦りを隠せないでいる。

しかし、それでもみんなきちんとスピーチをこなすんだから流石としか言いようがない。特に、タガログ語を知っていた日本人ボランティアのスピーチは非常に受けた。

マガンダン・オマーガ!

おはよう、という意味であるが、この言葉が出た途端、会場は大統領が就任スピーチをするごとく、盛り上がりを見せた。あんたならアメリカ大統領になれるよ。

そうこうして、パーティもおひらきになった。

この日はそのまま、パーティ会場だった学校で昼食を食べたのだが、なんとホストファミリーが割り箸を買ってきてくれたので驚いた。日本人は箸でごはんを食べる、という認識が、フィリピンにあったのだろうか。

他のメンバーのホームステイ先ではスプーン・フォークはおろか、手づかみで食べている家もあり、自動的に日本人も「郷に入っては郷に従え」システムで過ごしたので、「食」に関しては私は恵まれていたと思う。

家に帰り、ナショナルのエアコンの部屋で少し寝た後、海へ行く。ここでまた「トライスクル」が大活躍である。

トライスクルは125ccで、お世辞にも性能が良いとは言えないが、それでも40キロでフィリピンの道を行くのは、気持ちがいい。南国の風を目一杯感じながら、海へと向かう。


海へ


道中はずっと田舎道で、田んぼや畑、魚の養殖場があり、またそれらの途中には集落がある。2つほど集落を通りすぎて、時間的には15分とちょっとだろうか、海についた。

ちょうど漁を終えた漁師たちが、船を浜辺に引き上げていた。西の山は、悲しいくらいに綺麗な夕焼けが照りつけ、赤く輝いている。それを反射して、波打ち際の砂浜はオレンジに光っている。そして海辺を歩くと、子カニ、クラゲ、ココナツの殻。

なんてロマンチックなところなのだろう、と、感動を覚えた。

そんな折、ここまで連れてきてくれたマミタグ家の長男、ジェリーが、「(トライクルに)乗ってみる?」と聞いてきた。日本でAT限定ながら免許は持っているが、バイクは初めてである。しかもミッションだ。しかし断るのも気がひけるので、勇んでバイクに乗ってみる。

しかし「半クラ」の概念を知らないせいか、何度もエンストさせてしまった。これが本当の、ミッション・インポッシブルである。

驚いたのが、ジェリーはちっとも呆れることなく、何度も何度も操縦を教えてくれたこと。現地のバイクは(日本もそうかもしれないが)エンストさせると、バイクの左側に付いているペダルを踏んで再起動させなくてはならない。それでも、エンストさせるたびになんども再起動してバイクに乗せてくれた。自分にとって印象深い出来事だった。

家に帰ると、マミタグ家の母・モニナが「洗濯しようか?」と聞きにきてくれた。つくづく、親切な家である。着ていた服をそのまま着替えて、洗濯をお願いした。ポケットの中に、カメラのレンズキャップを入れ忘れたまま。

その後、夕食をいただく。コテコテのフィリピン料理も、馴染むことができた。馴染んだら馴染んだで生臭かったりと気になるところはあるのだが…

デザートで、飲むタイプのチョコをもらった。「コレがフィリピンスタイルだぜ!」と、マミタグ家のいとこのブライアンが教えてくれた。袋の端っこを噛みちぎって、吸うように飲む。味は普通のチョコレートだけど、パンに塗るやつじゃん、これ。そう思いながら、頑張ってチョコをちゅうちゅうした。

その後、ホストファミリーに用意したおみやげを渡す。ピーナッツかりんとうを食べて「デリシャス」と言ってたので、一安心。そして「折り紙」は好評だった。

ほかのメンバーの滞在している家でも「折り紙」は概ね好評だったようで、フィリピンのスベらないお土産として、どなたにもお勧めできます。

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2月13日

この朝は、珍しく、目覚ましよりも早く起きた。


散歩


ジェリーとともに、家の裏手へ散歩に出かける。ジェリーは冗談好きで色男だ。ワン・ダイレクションあたりにこっそり混ざっていても気づかないだろう。それなのに、大変話しやすい。フィリピン人がモテるわけだ。

魚の養殖をしている池「フィッシュファーム」と、田んぼと、、、朝焼けの美しい景色を見ながら、ゆっくり歩いていく。となりのトトロの「さんぽ」の歌詞がとてもしっくりとくる。

あるこう あるこう わたしはげんき
あるくのだいすき どんどんいこう
坂道 旧日本軍の遺跡 くさっぱら
竹で作った橋に デコボコじゃりみち
バチバチと異音のする電線くぐって
くだり道

(書き起こしてみると、案外しっくりと来ないものだなあ)

散歩しながら、ジェリーがかつて鳩を飼っていたことを教えてくれた。海辺で手放しても、マニラで手放しても、ちゃんと家まで帰ってくるらしい。

ほかに、ぬかるんでいた魚の養殖池は、乾季には干上がって野球ができることも聞いた。この辺りでは春夏秋冬なんてものはなく、雨季と乾季だけなのだ。日本では池が干上がるなんてめったに起こらないが、この辺りでは日常の出来事なのだろう。
養殖池の周りを見渡すとかなりの平原である。遠くにぽつんと見える塔は、旧日本軍がワインを作るために建てたものらしい。私ですら赤ワインは飲めないんだけど。おしゃれだな、旧日本軍。


道交法違反


家に戻って、朝ご飯を食べたあとは、バイクでいとこのブライアン・長男のジェリーとで街に出た。

…お気づきだろうか?

「バイクで」
「ブライアン・ジェリーとで街に出た」
※バイクの免許があるのはジェリーのみ

そう、曲芸である。バイクに3人乗りである。ジェリーがハンドルを握り、その後ろにブライアンが座り、泥はねよけのあたりに私がブライアンをしっかりと抱きしめて座る。こんなに強く他人を抱きしめるのは初だ。汗臭い15歳のボーイをこんなにしっかり抱きしめたら日本では警察署送りにされる。だがしかし、正直、バイクに三人乗りは怖い。しかも、サイドカーがないぶんトライクルより速度が出る。
街を颯爽と過ぎ、リンガエン中央の、リンガエン教会にたどりつく。さすが歴史のある建物っぽい風格をしている。

教会の隅では、誰かの葬式をやっている。フィリピンでも喪服は黒なのだと、この時知った。そして教会の中に入って右を見ると、ガラスケースの中に、大昔の宣教師の遺体が安置されており、香油が塗りたくられている。地元の人がこのガラスケースのまわりでお祈りしている。

教会を出て庭のような場所に出るとそこには、歴代の鐘が置かれている。昔のものだと、1829年製。本当に歴史ある建物だった。第二次大戦で日本とアメリカの戦場になったため一度は壊されてしまったようだが、それも感じないくらい、荘厳で歴史的な建物であるように思う。
その後、教会からほど近くのスーパーマーケットへ。ここでは万引き対策なのか、持ち物をすべて預けてから入る。背中にしょっていたリュックを預け、店の中へ。


ココナツオイル探し。


実は、この旅行にはひとつだけ、タスクがあった。唯一、お土産リクエストを出していた友人がいたのだが、彼女が「ココナッツオイルをくれ」と言っていたのである。

だから、探さなくては。とはいえ美容に何の知識もない私には、ココナッツオイルが何者かわからなかった。「きっと美容に使うんだ」という話をジェリーたちとしていた。

…いや、ググれや、というツッコミが聞こえてきそうだが、当時の私にそんな余裕はなかった。いかんせん、WiFiルーターを持って行かずにフィリピンにきてしまったのだ。ネットにつながる手段がない。

スーパーの化粧品売り場に行くと、資生堂など日本製品が多い。しかしその中にココナッツオイルは無かった。さすがに街中のスーパーでお土産を買うのは難しいようだ。

(後日談だが、ちゃんとした「ココナッツオイル」を手に入れるのは、2年後のことになる。お土産を頼んだ友人ともすっかり繋がりの切れたあとだった。どうしようもないから自分で使っている。お湯で温めて顔に塗るとすべすべするし、乾燥由来のかゆみが収まる。気に入った。)

仕方なく何も買わずに店を後にする。「後でモールに案内するから、そこで探そうよ」とジェリー。あんたって人はなんて親切なんだ。


フィリピン家庭を巡る


帰宅すると、ひょんな事から、教員をしている社会人メンバー、トモさんと合流。久しぶりに、そう、24時間ぶりくらいに、日本語を話した。ホームステイ先で日本語を話しまくるのは気が引けるが、この安心感は何にも代えがたい。向こうもタガログ語で喋ってるんだから気にしとったらいかんのだ。

そういえばトモさんは、ジェリーとブライアンとで「スラムダンク」の話をしていて非常に盛り上がっていた。ドンピシャ世代らしい。

しかし、そのドンピシャ世代よりもジェリーのほうが少々詳しいように感じた。フィリピンではどうやら、バスケがとても盛んらしい。自分のような素人では、日本のバスケチームすらよくわからないのだが、ここではみんながバスケチームを知っている。
と、そこに昼食が運ばれてくる。昼食はビーフンぽい見た目で、味わいもビーフンだった。だからきっとあればビーフンなのだろう。
昼食中、マミタグ家の母が、バケツいっぱいの魚を持って現れた。採れたてピチピチ。朝取れたばかりだそうだ。

トモさんは、「さっきうちのホームステイ先でもお昼食べたのに!」といいつつ、美味しそうに2回目の昼食を食べていた。
その後、ちょっと移動して、日本人メンバーのホームステイ先である、ステラさんの家へ。彼女はtalkative(話し好き)を自負する。おシャレでかわいく、賑やかな家だった。

そんな家であろうことか、またたんまりと昼食を頂く。

一緒についてきたトモさんにとっては、彼のホームステイ先、マミタグ家(我が家)そしてステラおばさんのお家と、3度目の昼食である。いよっ、飽食の時代。

物量攻めは困ってしまうのだが、さらに困ったことに、食えるのだ。
日本では全自動で腹八分目あたりで箸が止まる私ですら、この非常識な量を食えるのだ。それくらいに口にあうというか、ふつうに美味しい。

このとき、行動を共にしていたトモさんは、昨日どうやら「バロ」を食べたらしい。これは、見た目はただのゆで卵なのだが、中身は生まれかけのヒヨコ煮込みであり、殻を割ってヒヨコスープを抜いた後に、ふわふわした何かの物体と、胎児状態のヒヨコをいただく。

概要も中身も全体的なビジュアルも、食べるにあたり非常に勇気のいるものである。
それを食べたぜ!と話せば、フィリピンのどこでもヒーローになっていた。
「バロ」は「マサーラップ(おいしい)」らしい。
日本で言う納豆ポジションだろうか。たしかにフィリピン人が「マイ フェイボレット フード イズ ナットーーー!」といえば、日本人が喜ぶのは容易に想像できる。

ステラおばさんから、日本で暮らす親戚の話、タガログ語の話、家族の話など、色々聞かせてもらった。ほんとに話好きな人である。庭にあるチャリ型トライスクルにみんなで乗ったり、木に登ったりもした。話をするたびに、コミュ力半端無いなあと思う次第である。日本語を覚えれば、新入社員のコミュニケーション研修なんかも出来そうな人である。

そしてそのまま、ステラさんと仲の良い隣の家におじゃますることに。ここのファミリーはお父さんも、出稼ぎに出ている息子さんも船乗りで、三井とかホンダとか、名古屋とか横浜とか、とにかく日系企業や日本の地理に詳しかった。

そこでも、折り紙で盛り上がった。人生で初めて、マトモな鶴を折った。
その後帰宅し、一段落すると、トライスクル二台で「キャピタル」に向かった。


リンガエン中心部へ


キャピタルは昔の植民地時代に、統監府というか、領事館が置かれていた場所らしい。このキャピタルの海は、太平洋戦争での日米両軍の上陸地でもある。1941年に日本軍第14軍主力がここに上陸し、1945年に米軍がおなじように上陸している。そのため日本の戦車と飛行機が安置してある。

ここにあった大きな建物、おそらく議場。そこの屋上から眺めるフィリピン海。フィリピン海の向こうにそびえる山々。どれも素敵だ。

リンガエン市長の邸宅も近くにあり、家の庭なら自由に見学できる。

ここで、リンガエンビーチと呼ばれる浜辺へと歩いて移動し、夕食のバーベキューをする。魚を焼き、屋台で鶏肉のおかずを買う(甘いタレにしたら見事に失敗した)

浜辺はまあまあの賑わいを見せており、結婚するカップルの記念撮影とか、タコあげするひととか、泳ぐ人とか、みんな思い思いにレジャーしている。
キャピタルのビーチは前日に行った海よりも東に位置しているようで、昨日と同じような景色が見える。ただ、昨日の海はただの浜辺。こちらは「ビーチ」。そのためしっかり整備されている。

さて、魚が焼けたので晩餐の始まりだ。魚は骨だらけだがうまい。屋台の鶏肉も、鳥を余すこと無く活用しておいしい。また、フィリピンでもスプライトを発見し、驚いた。結構メジャーな飲み物だそうだ。

暑い日のスプライトは、三ツ矢サイダーと並ぶ私の大好物だ。結局、フィリピンを発つまで毎日のように飲むことになる。またファンタもあった。しかし名前はファンタではなく「ロイヤル」である。

そして、なんといってもこの晩ごはんは「カマヤン(手づかみ)」だった。魚をそのままちぎって口へ運び、米で手についた魚の脂分をおとしてさらに食べる。新鮮だ。魚もだし、体験そのものも新鮮だ。

食べている最中は結構ひっきりなしに売り子がやってくる。ちょうど私がバロを食べない宣言を出していたところに、バロの売り子がひょっこりと顔を出し、失笑を誘った。
マミタグ家の次男、マシューがタブレットの中にたくさん曲を入れており、色々洋楽を聞かせてくれた。マシューは内気だが、洋楽好きなトモさんと話が盛り上がっていた。トモさんは結構マシューのプレイリストの曲を知っていたようで、マシューも嬉しそうだった。

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1995年愛知県生まれ。大学時代に先輩に騙されて入った携帯屋のアルバイトでスマートフォンの魅力を知る。 機種の外観だけでスマホのメーカーと型番がわかるようになった頃、旅行にハマり、アルバイトの収入の大半を旅行につぎ込むようになる。おかげで日本中の人と地元トークができるようになり、その謎知識から現在の職場では営業先の地方にいるお客様を不必要にビビらせている。 ブログ歴は2009年から書いており10年目。現在のブログは3代目。 「手のかかるロビンソンだなぁ」(isuta1205.com)のほかに寄稿多数。 「KOKACARE」(http://healthcare.halfmoon.jp/blog/) 「EDIT知多半島」(http://chitahantou.net/)など。

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